からだで知る 1<梅と桜>

先日 北野天満宮の梅園に行ってきました。
ちょうど見頃で お茶とお菓子もたのしめて 春の始まりを味わうことが出来ました。
そこで 梅を見ながら考えていたのは 梅と桜の鑑賞方法についてです。
梅は 近くで楽しむもので 桜は遠くから眺めるのが本来かなと。
梅は間近でその姿や香りを楽しみ 桜は遠くからその景色を楽しむのがなじむように思ったのです。
桜は 今では品種改良が進み たくさんの種類があるので 間近でみる楽しみも増えましたが 昔は山桜が主。吉野の山などに霞のように咲いているのを 広い視野で見て 広い空間ごと春を感じていたのではないでしょうか。

もう一つ思い浮かぶのが 視覚による記憶と嗅覚による記憶です。
梅は香りでその開花に気づくこともあるほど 香りが高いですね。しかし 山桜はそういったことはありません。

では 梅の花を思い出してみてください。

次に 桜の花。

いかがでしょうか。

梅の花をその姿に加え 香りも一緒に思い浮かべると より身体の内側、細胞の一つ一つにまで 春はもう近いよって 声をかけられているように感じませんか。冬ごもりしていた身体に 目覚めをもたらすかのようです。
そして 花や木の姿を完全に覚えていて絵を描くことは出来なくても 香りは100%(近く)再現出来ますね。
香りは思い出しやすいので 何度でも思い浮かべて 細胞に働きかけることが出来ます。もう春だよ。起きてよ起きてと 寒さでちぢこもっていた身体を揺り動かしします。

一方 桜はどうでしょう。
香りと違って 身体に差し込んでくるような現実味はなくて 思い出やイメージといった感じです。
山の中にぽつぽつと 山桜が点在する景色を思い浮かべると つぼみが開き四方八方にその喜びと気持ちよさを広げているかのように こちらの身体も外へ外へと開いていきます。その広がりにまかせていると 大地のぬくもりや 空気のぬくもりなど 全体的な季節感にまで イメージを広げられます。春が訪れたその地域一帯と同調 同化して 大地や宇宙とのつながりが深まるようにさえ感じられます。

桜を間近に鑑賞することもあったでしょう。西行も「吉野山 こぞのしをりの 道かへて まだ見ぬかたの 花をたづねむ」と詠んでいますし、かんざしのように髪にさし 直接にそのエネルギーをいただく風習も古くからあったでしょう。しかし 梅と桜を それぞれに思い起こして身体で(を)見てみると そんな風に思われるのです。

古歌に歌われてきたような季節のものを 昔に習って 身体で愛でると その季節に合った身体や気持ちに導いていただけるようです。